阪神淡路大震災後、街並をを見ていて感じた事を書いた原稿がありましたので、追加しておきますので興味のある方はお読み下さい。

『どんな街に住みたいですか』

「どんな街、家に住みたいですか。」たぶん、言葉にするのは難しいことでしょう。また、イメージできる人は、そんなに多くはないと思います。日本の住宅の環境を自分達の暮らしやすい街、家に近付けるのは、どのようにしたら良いのでしょうか。私は、もっと多くの人が自分のイメージを持つ事が大事だと思います。

 阪神淡路大震災後、阪神地域の風景が一変してメーカーの展示場の様相になってきました。短時間にこれだけの住宅が復興して日本の機動力(住宅メーカー)のすごさを感じました。震災で私達は、一瞬の間に多くの家を失い多くの人々が仮住まいを余儀なくなりました。そこで短期間に大量生産、短期間の工期と本来の目的に合ったメーカー住宅の出番となったのです。

 そして、街は住宅メーカーの展示場化してしまいました。しかし、何か釈然としない部分がありませんか。 それは何十年、何百年かけて家が建て替えられて街並が形成された阪神地域が、最近できた新興住宅地と何ら変わることのない街並になって来た事です。この震災が、阪神地域の新しい街づくりの出発地点と考えればよいのでしょうか。たぶん、今のままの人々の意識では、将来街並がよくなるとは、私は思いません。

 メーカー住宅の発達以前は、各地域には、「棟梁」と言う、住宅、環境、周辺の街並に精通していたプロフェショナルがいました。自分が住んでいる住宅は、新築から、増改築と何でも相談できた、住宅の係り付け建築家です。

 それが、戦後、メーカー住宅の発達で「棟梁」の減少と言う道筋をたどる事になりまました。政府は住宅に対して持ち家政策実施し、街並は個人のモラルで成り立つと言う事になりました。機能主義の発達で、街並も産業の一部として扱われるようになったのです。

 こうなると「棟梁」を失った人々の街並みの形成のカギを握るのは、個人の住宅環境のイメージになってきます。人々は産業中心の考え方で経済効率こ重きを置いてきたのです。教育もその影響を受け、その学校で学んだ人々が現在の街並を造っているのです。

 昨年の夏、神戸市内の中学校に職業講話の講師として生徒接する機会がありました。いろいろな職業の方に話を聞いて進路について少しでも参考したいと言う企画で、その中学校の3年生を対象にした、オリジナルなプログラムでした。そこで、画家、教師、看護婦、介護福祉士、ケーキ職人、警察官、地方公務員、そして私(建築士)の8人で講師を努めました。

 生徒は、自分の興味のある職業を二つだけ選択して話を聞く事ができました。一つの講話は、50分間と言う短い時間でしたが、生徒は興味深く真剣に聞いてくれた様に思います。

 この講話で私は、二つの事について話しました。一つは、建築士がどのような仕事をしているかについて、もう一つは、どのようにして建築士なれるか言う内容でした。最後に少しだけであるが、街並について話してみました。すると、震災後の街について退屈だと思っている生徒が多くみられた。この講話を通してもう少し義務教育の段階で街並や建築のことを理解して社会に出てもらいたいと思いました。

 多くの日本人に自分達の街のイメージを創ってもらう為には、中学校や高校の教育の中に街並や建築について考える機会を増やしてもらいたいと思いました。それには、建築家がボランティアで何時間か話す機会を設けてもらったらどうでしょうか。

 そうすることにより、人々の街並に対する意識の向上と建築家の地位向上を期待できるのではないでしょうか。教育界には、2002年の週休2日制で時間短縮になり大事な受験勉強の時間を街並などの非効率なテーマに時間を費やすのはもったいないと思うのかな?

1999年3月